are you shy

世の中に存在する所の総ゆる職業は、其職業に依って、其職業の主が食って行かれると云うことを証明して居る。即ち、食って行かれないものなら、それは職業として存在し得られない。食って行ければこそ、世の中に職業として存在して居るのである。食って行き得る職業ならば、其職業は、職業としての目的を達し得たものと認めなければならぬ。で、職業としての目的を達し得た点に於て、総ゆる職業は平等で、優劣なぞのある道理はない。然う云う意味で言えば。車夫も大工も同じく優劣はない訳である。その如く大工と文学者にも又同じく優劣はない。又文学者も政治家も優劣はない。だから、若し文学者の職業が男子の一生の事業とするに足らぬと云うならば、政治家の職業も亦男子一生の事業とするに足らないとも言えるし、軍人の職業も男子の一生の事業とするに足らぬとも言える。それを又逆にして、若し、文学者の職業を男子一生の事業とするに足ると云うならば、大工も豆腐屋も下駄の歯入れ屋も男子一生の事業とするに足ると言っても差支えない。

 問題はあすこに書いてある通り「文芸と道徳」と云うのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大体文学の方に従事しているために文芸の方のことをお話する傾きが多うございます。大阪へ来て文芸を談ずると云うことの可否は知りません。儲ける話でもしたら一番よかろうと思っているんですが、「文芸と道徳」では題をお聴きになっただけでも儲かりません。その内容をお聴きになってはなお儲かりません。けれども別に損をするというほどの縁喜の悪い題でもなかろうと思うのです。もちろん御聴になる時間ぐらいは損になりますが、そのくらいな損は不運と諦めて辛抱して聴いていただきたい。

 自分の室はもと特等として二間つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副室の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に六尺の袋戸棚があって、その傍が芭蕉布の襖ですぐ隣へ往来ができるようになっている。この一枚の仕切をがらりと開けさえすれば、隣室で何をしているかはたやすく分るけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないのは無論である。折から暑さに向う時節であったから縁側は常に明け放したままであった。縁側は固より棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が縁端へ出て互を見透す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の関とした。それは板の上へ細い桟を十文字に渡した洒落たもので、小使が毎朝拭掃除をするときには、下から鍵を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になっていた。自分は立って敷居の上に立った。かの音はこの妻戸の後から出るようである。戸の下は二寸ほど空いていたがそこには何も見えなかった。